アジアからガザ・キャラバンが12月2日出発。陸路にて7カ国を経由してトルコへ。トルコから海路。イスラエルによるガザ海上封鎖の突破を目指す。アジア・オセアニアから約20カ国、500人以上が参加。
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 一時はどうなるかと思われたが、幸運にも船の手配と書類手続きが順調に進み貨物船が入港した。船にはアラビア語で平安を意味する”サラーム”号と命名。出発は2011年1月1日、日本人としては縁起のいい元旦に決定。このルートはアジアキャラバンの少し前にビバ•パレスティナ5が同じコースを通っている。しかし、その時には出航前に確か20日位、調整や交渉に費やした筈だ。どうも、それ以降、国際支援名目でのガザ入国はこのルートを中心に一定レベルは許可するとの調整をエジプト、イスラエル間で持たれたようだ。しかし、それにも増してこのような短期間での決定は、アジアキャラバンが中東諸国を含めて通過先の人々と関係を持って来た事。そして現地のコーディネターの任に当たった人々や裏方の人間の地道な作業の賜物だと感じる。

 残念ながら、外交問題ゆえにイランでの国賓レベルの歓待の裏で地道に準備に奔走してくれたイラン国籍者の入国が認められなかった。イラン人の入国を目指すのであれば断固としてガザ入国を認めない旨、イスラエル政府から断固かつ強烈な圧力が掛けられたとの事だ。加えて受け入れ人数の上限は150名。残念ながら長期に旅していた国の人達をまずは優先するとの決定が実行委で持たれ、ヨルダンからの参加者の人数が10名削られてしまった。断固として、全員入国を認めて踏ん張るべきだとの意見と今回は可能な人間だけでもガザ入国を果たすべきだとの意見に割れた。それに加えて、ここまでの旅の疲れが参加者の中からも出て来ていた。そんな中にあっても、イラン人参加者は怒りを表す事なく、静かに可能な人だけでもまずはガザ入国を果たすべきだとの意見を述べた。その静かさは見事だった。

 エジプト側の許可は降りたものの、イスラエルが支援船<サラーム号>にどのような悪質な攻撃を仕掛けて来るかもしれない。それに加えて、今回、欧米からの白い人達の参加者は皆無だ。参加者は、甘い言葉とは別にいわゆる”国際社会”と言われる世界に置いて、命の値段に順列があること、その比対象のリアリズムを熟知している。イスラエル政府は我々アジアキャラバンに平行して、<イスラム原理主義者>や<イラン政府のテロの影>などのプロパガンダを写真入りで流し続けていた。<サラーム号。への攻撃を避ける為に8名が支援物資と共に乗船する事になって。残りは飛行機でアル•アリーシュに向かいそこで合流する事になった。

 今後、非常時も想定される為、決定機関は間延びせず迅速に成された方がよいとのことで、各国のコーディネーターの実行委の中から、コア委員会が結成されていた。メンバーはそこに一任するということで、仮に選ばれたメンバーの本意でない場合には、拒否権を認めるというに決まった。私は、誰でも乗りたい人が乗れば良いと考えていて、選ばれれば受け入れようと思っていし、多分、指名して来るだろうなあと思っていた。私は日本外交の現実を知っているので、日本人の命の値段が他のアジア諸国の人々に比べて高いとは決して思わないが、日本の経済力に対する眼差し故にそのような誤解と期待があるのかも知れない。まあ、数百円程度は現実的に高いのかも知れないが。

 8名のメンバーが決まった。キャラバン参加人数が80名と最多なインドからは、元国会議員、著名なジャーナリスト、インド全学連委員長を含む4名。アゼルバイジャンから1名。マレーシア、インドネシア各1名。そして日本からは私。

 出発は2日後の1月1日の朝。いよいよガザが現実味を帯びて来た。


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 医薬品、食料品、文房具や救急車輛用車4台等支援物資総額は約120万ドル(一億円)相当。イスラム圏では無い事や、パレスティナに対する関心の低さ、それに呼びかけの不十分さもあったものの日本で集め得れたのは、僅か10万円。肩身が何だか狭かった。


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【2011/09/14 15:16】 | 未分類
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 アジア的な歓待とポストコロニアル的な時には滑稽さを伴う儀式によりスケジュールは常に大幅に遅れる。おまけにインドのデリーから延々と陸路により移動。途中、印パ国境の問題もあり他のメンバーは空路の移動を余儀なくされたりしたが、幾つかの理由もあり、私ひとりが何故だかここまで延々、途中、列車での旅を含めて陸路で移動を続けている。歓迎会、儀式、スピーチ、移動そして移動。儀式、儀式、案内、そして移動、移動、移動。だから目的地に着くのは決まって深夜を越えた。そここから時には、さらにアジア的というべきか半分皆が眠気眼のインド的な話し合いが続く。

 
 12月4日にインドのデリーを出発したアジアキャラバンもいよいよ最終章に突入する。レバノンからシリアに戻れば後は、ガザ入国に当たり医療品や食料品などの救援物資を積み込むシリア北部の港町ラタキアに向かうのみ。ラタキアを貨物船で出発すれば、エジプト/ガザのラファ国境手前の港町アル•アリーシュに向かう。トップページの左上段に、今回のキャラバンの際、日本人参加者募集を呼びかけたPDFチラシが掲載されているが、その地図にあるよう、当初のルートではトルコのイスタンブールから船をチャーターしそのままガザへと向かう予定だった。しかし、アジアキャラバンから半年前のガザ自由船団のマブィ•マルマラ号への9名の死者を出した攻撃。イスラエルは間違いなくガザ入港を目指す支援船に対しては、あらゆる国際法を無視して攻撃を仕掛けてくるのは見えている。アジアキャラバンの船は一隻のみであり、イスラエルの弾圧に晒されても国際的なインパクトが弱い事。そして、アジアキャラバンとしては初の試みである事。さらに、国際的な直接行動の調整事項は多岐に渡り、時間的な関係で、トルコ側で船のチャーターをも含め調整しきれないなどの理由が重なった結果、最終的なコースはシリアのラタキアからエジプト•アル•アリーシュ、そしてラファ、ガザへと相成った。

 下にラタキアへ向かう途上の写真、ラタキアのダウンタウンの市場やパレスティナ人難民キャンプのあるアル•ラメル地区の写真を入れたが、ご存知の通り、シリアは<アラブの春>による1月の民衆蜂起以来、アサド政権の激しい弾圧に晒されながらも今、現在に至るまで民主化を求めて果敢な闘いを続けている。
 蜂起以来の死者は4000人、拘束者は40000人を数える。特にイスラム教徒の断食月であるラマダン期に入り、アサド政権による武力弾圧はさらに過酷を極め、ラタキアでは戦車部隊による攻撃に加えて、軍艦による砲撃も加えられた。
 
 取材の為、シリア国内の何人かの活動家から話しを聞いたが、パレスティナ難民キャンプがありシリア人の労働者階級も多数居住するアル•ラメル地区は、攻撃の為にほぼ全住民が近隣の村々に逃げた結果ゴーストタウン化したとの事だ。現地で知り合ったパレスティナ人家族の安否が心配で連絡を取りたいのだが、アサド政権は武力弾圧に加えて、ネット空間をも含めてサイバー弾圧も徹底して行っている為、安易な連絡は取らない方が良いと言う。その結果いまだ安否さえ分からない。

 写真の掲載は控えるが、今回のキャラバンには、アラブ民主化、<アラブの春>と囃し立てながら、アメリカを中心にしたダブル•スタンダーにより放置され、大弾圧にさらされながら未だ民主化を求めて闘うバーハーレンからの参加者もいた。その参加者のひとりは以前に政治犯として7年間獄中に入れられていた。

 だから、どうかこれを読んでくれている皆さん。時には、半ば<終わっている>大手マスコミの報道など相手にせず、時には、インターネット等でこれらの国々の声に耳を傾けて頂きたい。詳論は敢えてここには書かぬが、日本が曲がりなりにも今の暮らしを獲得していく事実に少しでも思いを馳せば、決して遠い、対岸の火事であろう筈がない。歴史的に第一次世界大戦の”戦勝国”であった日本は英•仏を中心とした中東分割を決めるサンレモ会議に参加している。
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ラタキアのダウンタウンの市場。こいつやあんちゃんやはにかんでいた子供達も武力弾圧に晒されている渦中にいる。

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真ん中のきれいな女の子はインド•ボリウッドの映画女優。その右隣はもうひとりの日本人参加者の美馬さん。

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   ラタキアの街でパレスティナ解放を求めてのデモ

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 反原発の山本太郎が騒がれ、そのくせ、テレビのブラウン管では日頃、大言壮語しながら未だ、自己保身の為に何一つ言えない日本の芸能人とは決定的に違い、芸能人であろうが学生であろうが音楽家であろうが、違うと思うことに対して当たり前に行動を起こす。

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      思いに、そして行動に国境などない。


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   アル•ラメル地区の最初のパレスティナ難民キャンプ


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 難民キャンプの質素な集会場でパレスティナ人達は歓迎会を開いてくれた。ラタキア市内で唯一、アル•ラメル地区のみが一日4、5時間の停電が当たり前だとの事だった。

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【2011/09/10 00:44】 | 未分類
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 アジアキャラバン6カ国目はレバノンです。


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 シリアのダマスカスではパレスティナ諸団体の方々が共同で祝賀会を催してくれました。なんせ今回の旅はアジア的と言うか、デリーからガザまで陸路、海路で行きましたから、移動に次ぐ移動。それに加えて、イランでの歓待は国賓扱いで規模が抜き出ていましたが、その他、各地で個人では決して会えない様な、御偉いさん方にお会いしました。

 ダマスカスに着いたと思ったら200名近い参加者の中から人数を絞ってのレバノン1泊2日行。国境の山は雪化粧。知っていましたか?レバノンにはスキー場があることを。ちなみにイランもテヘラン郊外にスキー場があったりして、若者達に取ってスキーは結構、人気があるスポーツです。



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 長らくぶりに訪れたベイルートの街。その変化に驚きました。しかし、古い建物に目をやればレバノン内戦、イスラエルの侵略の傷跡が今も残っています。ご存知の通り、小国レバノンには多数の異なる信仰の方々が暮らしています。普段でも交通渋滞のひどいベイルートに加えて、この時期はクリスマスバカンス、歩いた方が遥かに早い有様でした。

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 これらはレバノン南部にある先のイスラエルによるレバノン南部侵略戦争の記録を展示した戦勝記念公園です。イスラエル軍が残していった戦車や武器がそのまま展示されています。


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 どの国でも<大学>キャンパスを訪れたら、何故だか不思議にほっとします。


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 繊細で素敵な写真を撮るイラン人写真かサイードさんです。柔らかい笑みが忘れられません。

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【2011/09/07 18:20】 | 未分類
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すいません。前にも書いた事ですがこのキャラバンは今年の1月初めに無事にどうにかガザに入る事ができ、ミッションとしてはその時点で終了しています。が、管理人の身に起こる慌ただしさと、誰もが各々の日常を忙しく暮らしているにも関わらず、始めにそのような言い訳から書き出してしまう怠惰さ故に、更新が大幅に遅れています。気長ーにお待ち下さい。

 この時点では、<アラブの春>の広がりを誰もが予想していませんでした。今回はトルコでの受け入れ団体の意図もあり主として、<クルド人>が多く暮らす南東部を旅しました。このトルコ人エリアにも先日、トルコ政府は空爆しました。シリアの民主化を求める民衆蜂起は半年を過ぎても未だ闘われています。それに対するアサド政権の残虐なる弾圧も止みません。この国境周辺部も激しい攻撃と弾圧にさらされ多くのシリア人達が国境を越えて難民化しています。国境は無論、閉じられています。

トルコ•シリア国境でーマブィ•マルマラ号のメインオルガナイザーIHH事務局フセイン

シリア国境にてマヴィ?マルマラ号のメインオルガナイザー
      IHHの国際事務局 フセイン氏

トルコで僕らを案内してくれたIHHのクルド人
トルコを案内してくれた今回のリーダーであるIHHボランティアの彼もクルド人

ビザの関係で参加出来なかったクルド人ヒッピー
書類の関係上、共に旅を続けられなかったクルド人ヒッピー達

シリアのお偉い方々
      シリア国境でのお偉い方々の御出迎え

手前の大男はアゼルバイジャン。後ろはマレーシア
 手前はアゼルバイジャン人。彼も難民で内戦を体験している。後ろはマレーシア人。
また、何処かで会えるか?
       今も元気だろうか?

殺されていないだろうか?
     
元気か?大丈夫か?
       また会えるかな。
       
ここもアサド政権の武力弾圧にさらされている
     この土地の風景も今は変わってしまっている
       
動員を掛けられた彼等も今は民主化も止めて蜂起する


押さえつけて来るすべての者者に抗う
        あらゆる弾圧にも抗して
テヘラン大学のキャンパス
 ハローミスターアメリカ。何百万の人々を殺戮しながら今日もその地は快晴か!?


 シリア全土で今日も人々は素手で民主化を求めて街に出ています。例え毎日云十人が殺されても、”自由”を求めて闘っています。


【2011/09/06 14:08】 | 未分類
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ここで最近(4月2日)に私の元に届いたガザの若者のラッパーの歌を紹介します。表題の3月15日は、中東で興隆する民主化要求の高まりを受けてガザの青年達が、3月15日にパレスティナ統一を願ってのプロテストを呼びかけたグループ名です。実際にはその前日の14日から自然発生的にハマスとファタの統一を願うプロテストが自然発生的に怒ったのですが、翌15日を含めて暴行、逮捕の激しい弾圧を受けました。
 しかし、彼等もタフです。翌日のツイッターでは、ユーモアたっぷりに今回の我々の3月15日行動への弾圧を通じて初めてパレスティナはひとつになったと堂々と呟いていました。

 私は音楽音痴でラップと言うジャンルの曲も余り知らないのですが、現在ではオールド•スクールと呼ばれる米国ニューヨークのラッパー、パブリック•エナミーの”Fight the Power"は若かりし私の原点となった曲です。


【2011/04/04 17:10】 | 未分類
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