アジアからガザ・キャラバンが12月2日出発。陸路にて7カ国を経由してトルコへ。トルコから海路。イスラエルによるガザ海上封鎖の突破を目指す。アジア・オセアニアから約20カ国、500人以上が参加。
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 アジアキャラバン隊は、熱烈な歓迎を受けて、イスファハンを出発してイラン第二の聖地コムに夜中の12時過ぎに到着しました。明日は首都テヘランに向かいます。
 
 が、、、、、。キャラバンを出来る限りに時系列にということで、1週間前に遡り、
 
 12月4日(土)

 パンジャブ州には豊穣な土地が広がる。ここではインド随一の高級米が収穫される。インド有数の穀倉地帯だ。今回のキャラバンにはインドからは様々な団体が参加していて、そのうちここ数年、ベンガル州の原発発電施設建設反対運動に携わっている人が言うことには、インドと日本の農家には共通性があるらしい。どちらも圧倒的に小作農が多いというのだ。事の真偽は、今の私には分からないが、興味のある方はぜひ、お調べあれ。

パンジャブの朝の田園風景1

パンジャブの夜明け


 6時に起床。その後、朝食。インド実行委に入った情報として、パキスタンのビザがどうにか発給されたと思ったら、今度はインド側が出国を認めない旨を通告してきたという。合法的にパスポートを持ち、有効な渡航先のビザを持っていて、果たして、どんな屁理屈を持ってきて、出国制限をかける事が出来るのかが、大いに疑問であるが、インド、インドと偉そうに連呼しながらも、果たして、今の日本を見てみれば甚だ不安で、決して偉そうな事を言える立場にはなく、つまるところ、”権力”というものは、なんでもありありでやって来るというのが真実の姿であろう。
 朝食後、そのような出国の可否の状況を説明した後、どのような方針を取るのか、皆で集まっての話し合い。

朝食後のミーティング

朝食後のミーティング2

滞在先、食事とお世話になった労働組合の皆さん
お世話になった労働組合のみなさん

 取り敢えず、国境の街ワガ(Wagah)に向かい、当局の出方次第で、抗議行動を展開する事に決定。
 昼前に国境の街に到着。すぐさまインド実行委の幾人かが代表して、インド側税関と交渉に当たる。後ほど、デリー政府に打診し、決定事項を知らせるとの事。こんな時は、ただひたすら待つのみ。チャイを飲みながら、だべりながら、固めのグァバにマサラを振りぱくつきながら、誰かがオレンジを食べていたら何処で手に入れたんだと少しは声を荒げながらも、待つ。
 
 午後4時近くにインド政府から回答がある。60歳以上の者と、外国人の出国は認めるが残りの参加者の出国は認めないという。回答を受けて、皆が集まり話し合い。
 限られた人数でも、バトンを繋ぐ為に、すでに対岸のパキスタン側では歓迎の為に、100名を超える出迎えの人々が待機しているのだから、国境を越えるべきだ。方や、限られた人数では意味が無い。キャラバン参加者全員で国境を越えるのでなければ、止めるべきだ、との二つの意見に割れる。現在までのところ、外国籍は日本人である私と、イランとアメリカの二重国籍を持つ女性のみ。そこで出国可能なひとりとして意見を聞かれる。
「外国人の出国を認めるというが、そもそも言われるまでなく、ひとりでもパキスタンへ出国する事ができ、そのまま陸路にてイランへ旅する事も可能である。しかし、それでは意味がない。今回のアジアキャラバンの目的のひとつに、ひとつのアジア、協力し合うアジアというのがあるが、アジアからキャラバンを組んでガザへ向かい旅をしている。その趣旨から言って、私が少数のひとりとして国境を越える事に意味はない。」と答える。
 
 しばしの空白の後、国境で抗議行動を行った後、いちどデリーに戻り、そこでもインド政府がキャラバン参加者出国を認めるようにプロテストを行おうということで一致。
 夕方4時半過ぎに、パレスティナとインド国旗、アジアキャラバンのバーナーを手に国境に向かいシュプレヒコールを上げながらデモ行進。メディア関係者のカメラが並ぶ中、参加者2名がパスポートのパキスタンビザのページを掲げて、抗議の意思を表示
印パ国境にて抗議行動

印パ国境にて抗議行動2

希望は捨てぬ、再度、デリーへ



 そして、振り出しに戻り、午後6時インドの首都デリーへ向けて出発。
 疲労。車内に漂う倦怠感。それも当たり前の話で、12月27日にガザ到着を予定してはいるが、3日を費やして振り出しに戻る事に。こんな事で果たして、ガザに到着出来るのか!?
 午後9時過ぎに夕食。すると、インド実行委に連絡が入る。
 パキスタンを始めとした国々の支援者から、インド政府に対して抗議と要望が、多く寄せられたためと出国禁止と国境での抗議行動が、インドの全国紙のすべてと、各州の主要新聞にて取り上げられた為に、政府も出国を認めざるを得なくなったというのだ。その後、しばしの話し合い。明日、再度、パキスタン入国を目指す人は、途中の街で宿泊し、ビザの発給を当初から拒否された者、または、パキスタンではなくデリーから空路でイラン入国を目指す者はそのままバスでデリーに戻る事に。
 ここで、参加一同の中に疑心暗鬼が起こり、パキスタンビザを持っている者も、ここまでの経過、そして明日は日曜だから、行くだけ無駄であろうとの気持ちからデリーに戻る者が何人か出る
 それも仕方がなかろう。ここ数日を振り返ってみれば。無理かもなー、とは思いながらも、万が一を思い、行かねば後悔するだろうとの思いから、バスを下車。
インド陸軍元軍人の我らがバス運転手


 明日は普通の区間バスを利用すりために午前5時に出発予定。就寝時刻午前2時過ぎ。
フリーガザ



【2010/12/12 09:03】 | 未分類
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